「タニマチ」という言葉は、もともと大相撲界の隠語(符牒)として生まれました。そのルーツは明治時代の中期、大阪市南区谷町(現在の大阪市中央区谷町筋周辺)で開業していた耳鼻咽喉科・外科医師の薄幸太郎(すすき・こうたろう)氏にあります。
薄医師は大の相撲好きとして知られ、大阪場所が開催されるたびに巡業にやってくる力士たちの宿舎や稽古場に足繁く通っていました。当時、激しいぶつかり稽古や本場所の土俵で大怪我を負っても、十分な治療費を払えない若い力士や無給の下位力士が数多く存在していました。これを見かねた薄医師は、力士たちに対して診療代を一切受け取らず無料で治療を行い、そればかりか回復祝いとして小遣いや飲食代まで渡して励まし続けたのです。
怪我や病気に苦しむ力士たちにとって、無償で体を治し温かくもてなしてくれる薄医師はまさに救いの神でした。力士たちは感謝と敬意を込めて薄医師を「谷町の先生」と呼び慕うようになります。やがて角界内部で「谷町」という地名そのものが、「無条件で力士の面倒を見てくれるありがたい支援者・パトロン」を指す隠語として定着していきました。
古くから谷町筋周辺は寺社仏閣が多く、大阪相撲の興行地であった難波新地や四天王寺にも近い土地柄でした。相撲文化と深い結びつきを持っていた街の空気感が、この唯一無二の支援文化を育む土壌となったのです。