これほどまでに過酷な運命に翻弄されながらも、本業である歌の道において島倉さんが残した実績は驚異的です。彼女のキャリアを詳細にまとめると、昭和の歌謡史そのものと言っても過言ではありません。
1957年の『東京だョおっ母さん』、1958年の『からたち日記』で確固たる評価を築いた彼女は、1957年(第8回)に『NHK紅白歌合戦』へ初出場を果たします。以来、1986年(第37回)まで前人未到の30年連続出場を達成。紅組の象徴的な存在としてステージを彩り続けました。1987年に後進へ道を譲るため自ら勇退を宣言したものの、のちに復帰を望む声に応えて再び出場を重ね、生涯の通算出場回数は35回という金字塔を打ち立てています。
そして1987年、人生の苦難をすべて飲み込んだかのように明るく軽やかに歌い上げた『人生いろいろ』がミリオンセラーを記録。若い世代までをも巻き込む社会現象となり、彼女は名実ともに国民的歌手としての不死鳥のごとき復活を遂げました。激動の人生を歩んだ彼女だからこそ、「死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ」という歌詞に誰よりも重みと希望を宿らせることができたのです。