油で黒光りする壁、黄色く変色した短冊メニュー、そして微かにベタつく丸椅子。この空間全体が、戦後から令和に至る日本の食文化の生き証人だ。厨房に立つ店主の腕は、何万回、何十万回と鍋を煽ってきた筋肉の記憶だけで寸分狂わず動いている。
看板のラーメンが目の前に置かれた瞬間、立ち上る湯気とともに広がるのは、豚骨と鶏ガラ、そして香味野菜を濁らせずに煮出した清湯(チンタン)スープの芳醇な香りだ。ひと口すする。雑味のない澄んだ旨味が舌の上でじんわりと広がり、後からキリッとした醤油の輪郭が追いかけてくる。奇をてらったトッピングなど何一つない。昔ながらのチャーシュー、メンマ、ナルト、そして刻みネギ。これ以上何を足す必要があろうかという完璧な調和がそこにある。
「スープの仕込みは毎朝4時。特別な材料なんて使っちゃいないよ。ただ、火加減と灰汁取りを70年間サボらなかっただけだ」。店主は照れくさそうに笑いながら、手元の平ザルで軽やかに麺を湯切りする。