山形の夏は過酷だ。盆地特有のフェーン現象により、かつて国内最高気温を記録したほどの灼熱地獄と化す。そんな過酷な風土の中、1952年(昭和27年)の夏にひとつの歴史的転換点が訪れた。「そばは冷たいのがあるのに、なぜラーメンにはないのか」という常連客の何気ないひと言。この言葉に初代店主・阿部専四郎の職人魂が火を吹いた。
当時の常識では、冷たいラーメンなど論外だった。豚や鶏の脂は冷やすと白く固まり、舌触りを無残に損ねてしまうからだ。阿部専四郎は来る日も来る日も試作を繰り返し、植物性油と牛骨出汁の黄金比率を模索。1年におよぶ苦闘の末、スープをキンキンに冷やしても一切脂が固まらない奇跡の調合に辿り着いた。山形県麺類飲食生活衛生同業組合の記録にも残るこの快挙は、日本の飲食業界におけるエポックメイキングな革命だった。