当時の西洋パンは、ビール酵母やホップを用いて発酵させており、独特の酸味と硬さがありました。米と魚を中心とした和食文化に馴染んだ当時の日本人にとって、その味は決して親しみやすいものではありませんでした。
「日本人の口に本当に合うパンを作らなければ普及しない」——そう痛感した次男の木村英三郎は、日本古来の和菓子作りに着目します。酒饅頭の製法を応用し、米・麹・水から培養する「酒種(さかだね)」を使った生地発酵の研究に没頭しました。
試行錯誤の末、独特の芳醇な香りとふっくらとした食感を持つ生地の開発に成功。そこに和菓子の小豆餡を包み込んで焼き上げたのが、明治7年(1874年)に誕生した元祖「酒種あんぱん」です。発売されるやいなや銀座の店舗前には長蛇の列ができ、1日に十万個以上を売り上げる爆発的ヒットを記録しました。
木村屋の名を歴史に刻んだ最大の契機は、翌明治8年(1875年)4月4日の出来事です。旧幕臣で安兵衛と親交の深かった山岡鉄舟の仲介により、東京・向島水戸藩下屋敷でお花見を催された明治天皇へあんぱんが献上されました。
英三郎は季節感を重んじ、奈良の吉野山から取り寄せた八重桜の花びらを塩漬けにし、あんぱんの中央にあしらった「桜あんぱん」を特別に創作。明治天皇はこの味わいを絶賛され、「引き続き納めるように」との言葉を残されました。これにより木村屋は宮内省御用達となり、あんぱんは一躍、日本の国民食としての地位を確立したのです。