話は1920年代にさかのぼる。
当時の横浜は急速な工業化の渦中にあった。雇用を求めて移住した沖縄出身者たちが生活の拠点を築いたのが、鶴見区の潮田地区周辺だ。狭い路地に沖縄そばの製麺所や精肉店が並び、互いを助け合う「ゆいまーる」の精神が地域社会の基盤となった。
時代の波を幾度も乗り越えてきた。戦後の混乱期、そして1972年の沖縄返還。本土と南の島をつなぐ重要な架け橋として、この街は温かい血を通わせ続けてきた。現在では三代目、四代目の若い世代が店を継ぎ、伝統を守りながらも洗練されたカフェやバルを展開。単なるノスタルジーにとどまらない、新しい街の活気を生み出している。