1920年代、若き画家は渡仏し、当時ヨーロッパを席巻していたマリネッティ率いる「未来派」の運動に深く傾倒した。ダイナミズムと機械文明への賛美を浴びながら、彼が手に入れたのはスピード感そのものではなく、形態を純粋な要素へと解体・再構築する抽象化の視座だった。
帰国後、彼は前衛的な実験精神を日本人の美意識へと急速に適合させていく。過激なアヴァンギャルドをそのまま持ち込むのではなく、日本の抒情性と融合させたことが最大のブレイクスルーとなった。キュビスムや未来派の鋭角的な構造をマイルドに包み込み、誰の心にもすんなりと入る優美なフォルムへと転換させた手腕は、まさに世紀のイノベーションだった。