短編『檸檬』のプロットは、劇的な事件が連続するわけではありません。一人の青年の散歩と、その内面で生じた感覚のダイナミズムを記録した私小説的スケッチです。大まかな流れを把握することで、心理描写のコントラストがより鮮明になります。
物語の冒頭、主人公は正体不明の憂鬱に苛まれています。京都の街をあてもなく彷徨う彼は、かつて愛した贅沢な文具や本に嫌悪感を抱き、代わりに引き込まれていったのは、京極の裏通りにある安価な花火、南京玉、絵具のチューブといった「みすぼらしくて美しいもの」でした。華やかな表通りから落ちぶれた貧民街の色彩に惹かれる心理は、病によって社会のレールから脱落しつつある青年の自己投影にほかなりません。
転機が訪れるのは、寺町二条下ルにあった果物屋(モデルは実在した「八百卯」)の店先です。薄暗い店の中で、電灯の光を浴びて整然と並ぶ果物たち。その中で主人公は、それまで京都の八百屋では滅多に見かけなかった珍しい果物「檸檬」をひとつ買い求めます。
手の中に収まるレモンの心地よい重み、皮膚を通して骨に染み透るような冷たさ、そして鼻腔を突き抜ける清冽な香り。衰え切っていた主人公の肉体と精神は、一個の果実が放つ圧倒的な物質のリアリズムによって一瞬で息を吹き返します。この官能的な喜びを抱えたまま、青年はかつて足が遠のいていた丸善へと足を踏み入れ、あの伝説的なクライマックスへと突き進んでいくことになります。