田中真紀子氏の歩みを振り返る上で欠かせないのが、1990年代から2000年代初頭にかけて巻き起こした「真紀子旋風」です。早稲田大学商学部を卒業後、劇団雲などで演劇活動に関わった経歴を持つ彼女は、天性の表現力と大衆の心を掴む話術を兼ね備えていました。1993年の衆院選で旧新潟3区から無所属で出馬し、トップ当選を果たして政界入りします。
彼女の政治キャリアにおいて最大のハイライトであり、同時に最大の激震となったのが、2001年発足の第1次小泉純一郎内閣における外務大臣就任でした。小泉首相の誕生に決定的な役割を果たし、内閣支持率が歴代最高水準の80%台を記録した立役者となったのです。しかし、就任直後から外務省内部の官僚機構や事務次官らと激しく対立。「伏魔殿」と呼んだ外務省改革を巡り、省内官僚や自民党幹部との軋轢が日常化しました。
2002年1月、NGOのサミット参加問題を契機とした国会混乱の責任を問われる形で外務大臣を更迭されると、小泉内閣の支持率は急落。その後、民主党への移籍や野田内閣での文部科学大臣就任などを経て、2012年12月の衆院選で落選します。この落選を境に、彼女は国政選挙への出馬を見送り、事実上の政界引退を選択しました。既得権益や官僚主導の政治に真っ向から切り込んだ姿勢は、多くの支持を集めたと同時に、永田町の力学との果てしない摩擦を生み出した結果でもありました。