彼の活動領域は、決して日本国内にとどまらない。80年代後半から90年代にかけて、ジャマイカでのレゲエ・レコーディングや、マレーシア、インドネシアといった東南アジアのトップアーティストたちとの共同作業を積極的に重ねてきた。
言語や文化の壁をあっさりと越え、現地のミュージシャンとグルーヴで会話するスタンス。それは、彼がルーツとして愛し続けるアメリカン・ブラック・ミュージックの精神そのものだ。世界各地の音楽文化を吸収し、自らのブルースへと昇華させてきた軌跡は、現在のグローバルな音楽交流の先駆けであった。