漫才協会の名誉協議役を務めたこいる師匠と理事を歴任したのいる師匠は、後輩たちにとっても父親のような、そして最も頼りになる大先輩でした。
特に漫才協会の屋台骨を支えるナイツ(塙宣之・土屋伸之)や、テレビ界のトップランナーである爆笑問題(太田光・田中裕二)は、二人の影響を公言して憚りません。ナイツの塙宣之氏は、自著やインタビューの中で「浅草の舞台で一番ウケていたのは、間違いなくのいる・こいる師匠だった」「どんなに冷え切った客席でも、こいる師匠が体を揺らして『ヘーヘー』と言った瞬間に全員が笑ってしまう。あんな芸人は他にいない」と最大の敬意を表しています。
また、昭和のいる・こいるの弟子筋や若手芸人に対しても、二人は極めて寛大でした。浅草の若手がネタに悩み、相談に行くと、こいる師匠は笑顔でこう答えたといいます。
「難しく考えるなよ! ネタなんて適当でいいんだよ、楽しそうにやってりゃ客は笑うんだから! な、のいるさん?」
そう言って笑うこいる師匠の後ろで、のいる師匠が「お前が言うと本当に適当になっちゃうから困るんだよ」と苦笑いする。その温かなやり取りそのものが、若手芸人たちにとって何よりの救いであり、浅草演芸界の精神的支柱となっていました。