1960年代初頭、急激な都市化と人口集中に見舞われた神奈川県。深刻な水不足と電力不足を同時に解消するため、打ち出されたのが相模川総合開発事業だった。当時、事業の陣頭指揮を執った元神奈川県知事の内山岩太郎は、強いリーダーシップでこの壮大なプロジェクトを推進した。ダム建設に伴い、かつての津久井町の集落が水没するという大きな痛みも伴った。しかし、地域との粘り強い対話と補償交渉を経て、1965年に堂々たる姿を現した。
事業の目玉となった津久井湖は、単なる貯水池にとどまらない。水道水や工業用水の確保はもちろんのこと、神奈川県企業庁の手によって管理運営され、今なお県民の生命線を支え続けている。過酷な建設工事を乗り越えて完成したこの建造物は、戦後日本の復興と近代化の象徴そのものと言えるだろう。