彼の原点を語る上で欠かせないのが、異色とも言える学歴と修業時代だ。日本の名門・慶應義塾大学を卒業後、彼は安定した道を蹴り、単身アメリカへ渡った。向かった先は、世界最先端のアートが集うニューヨークの「スクール・オブ・ビジュアル・アーツ」である。
「石原」という名前が何の意味も持たない異国で、彼は一からデッサンと色彩の理論を叩き込まれた。人種の坩堝の中で揉まれ、アイデンティティを問われ続けた日々。このニューヨーク時代のアカデミックな鍛錬とストリート文化との出会いが、現在の彼の骨格を作り上げたのは間違いない。学閥や血縁の庇護を脱ぎ捨て、世界基準の現代アートに身を投げ入れた度胸こそが、彼の個性を決定づけた。