劇団ひとりのビジュアルに対する評価が大きく変遷した契機は、過去のアーカイブ映像や若手時代の宣材写真がSNS上で拡散されたことでした。1990年代半ば、太田プロダクション所属のお笑いコンビ「スープレックス」として活動していた20代前半の川島省吾は、現在の哀愁漂うキャラクターとは打って変わり、爽やかな正統派美男子の風貌をしていました。
当時を知る番組制作スタッフは「ライブシーンでも女性ファンからの人気が非常に高く、ルックス先行で見られることを本人が一番嫌がっていた」と証言しています。目鼻立ちがはっきりとした端正なフェイスラインは、当時隆盛を極めていた男性アイドルグループのメンバーと比べても遜色ないレベルでした。
しかし、2000年のコンビ解散を機にピン芸人「劇団ひとり」へと改名して以降、彼はあえて自らのルックスを武器にすることを封印しました。「泣き芸」や「ストリップ劇場に通い詰める哀愁キャラ」「偏屈なオタク青年」など、人間の情けない一面を極限までデフォルメする芸風に舵を切ったことで、世間の認知は「ビジュアルが良い若手」から「圧倒的な怪優・演技派ピン芸人」へと上書きされていった経緯があります。