石舞台古墳の最大の特徴は、墳丘の土が完全に失われ、巨大な横穴式石室が露出している点にあります。築造当初は一辺約50メートル前後の巨大な方墳構造を誇り、周囲には二重の堀と貼石(はりいし)が巡らされた荘厳な姿でした。では、なぜ盛土だけが綺麗に削ぎ落とされてしまったのでしょうか。これには古代の政変と中世の現実的な資材再利用という2つの側面が絡み合っています。
地元に伝わる伝承や江戸時代の地誌では、大化の改新(645年・乙巳の変)で蘇我本宗家が滅ぼされた際、蘇我氏に対する強い恨みから墳丘を暴かれ、土が剥ぎ取られたと語り継がれてきました。一方で近年の考古学的な発掘調査や土木史の検証によると、中世の武将が高取城などの城郭を築城・改修する際や、近隣の開墾に伴って盛土が持ち去られ、天井石が平らであったことから「狐や旅芸人が舞台として使った」ことで「石舞台」の名が定着したという説が有力視されています。
いずれにせよ、支配者の墓を覆っていた土が剥がされ、露出した巨石が風雨に晒され続けた姿そのものが、飛鳥時代から続く権力興亡の儚さを象徴するリアルな証拠となっています。