現在でこそ世界的大スターとして君臨する彼ですが、その半生は決して順風満帆ではありませんでした。1948年にワシントンD.C.で生まれ、人種差別の色濃いテネシー州で育った彼は、大学時代に公民権運動に傾倒します。キング牧師暗殺後には大学理事会を相手取った抗議行動で停学処分を受け、過激派組織との関わりからFBIの監視対象になるなど、激動の青年期を過ごしました。
演劇の道を志してニューヨークへ移住した後も、長い下積み生活が続きます。舞台俳優として高い評価を得る一方で、深刻なアルコールおよびコカイン(クラック)依存症に苦しむ暗黒期を経験しました。家族の支えによりリハビリ施設に入所し、薬物を完全に断ち切った直後に出演したのが、スパイク・リー監督の映画『ジャングル・フィーバー』(1991年)でした。
奇しくも自らの過去と向き合うような麻薬中毒者役を鬼気迫る演技で体現し、同年のカンヌ国際映画祭において彼のためだけに「助演男優賞」が特設されるという異例の栄誉を手にします。そして1994年、盟友クエンティン・タランティーノ監督の『パルプ・フィクション』に出演したことで、45歳というハリウッドでは極めて異例の「超遅咲き」ブレイクを果たしました。
また、彼を語る上で欠かせない「幼少期の吃音症(どもり)」のエピソードも見逃せません。彼は子供の頃、言葉に詰まる恐怖を克服するため、ある特定のリズムを持つ罵倒フレーズを頭の中で繰り返すトレーニングを行っていました。それが結果として、後年のトレードマークとなるリズミカルで迫力あるセリフ回しへと昇華されたのです。自身のコンプレックスや過酷な逆境を表現の武器へと変えた点に、彼の人間的強さがあります。