松島基地 東日本大震災 復興の経緯を語る上で、2011年3月11日の記憶は風化させてはならない原点です。海岸線から約1.5kmに位置する松島基地は、巨大津波によって壊滅的な打撃を受けました。滑走路や駐機場は完全に水没し、配備されていたF-2B戦闘機18機をはじめ、T-4練習機や救難機など計28機が被災しました。
当時、基地内にいた隊員や地域住民ら約1,000名は庁舎屋上などに避難し孤立。電気・通信が途絶する極限状態の中、隊員たちは水が引き始めた直後から泥をかき分け、わずか数日で滑走路の一部を啓開しました。米軍との合同救援作戦「トモダチ作戦」の拠点として機能させ、救援物資の空輸拠点として復興を牽引したエピソードは、公の記録や隊員の手記にも刻まれています。
震災時、九州新幹線全線開通の祝賀飛行のために芦屋基地(福岡県)へ展開中だったブルーインパルスは被災を免れ、その後芦屋基地に拠点を移して訓練を継続しました。そして震災から2年後の2013年3月、ブルーインパルスは松島基地へ無事帰還。2016年には三沢基地へ仮移転していた第21飛行隊もF-2B戦闘機とともに帰還を果たし、基地機能は完全に元へと戻りました。防潮堤の整備や建屋の嵩上げ(かさあげ)といった防災強化策も施され、松島基地は「防災と防衛が高度に融合した強靭な拠点」として再生を遂げています。