世田谷・蘆花恒春園の真実!文豪旧宅と四季の花・ドッグラン徹底解剖

世田谷・蘆花恒春園の真実!文豪旧宅と四季の花・ドッグラン徹底解剖

世田谷・蘆花恒春園の真実!文豪旧宅と四季の花・ドッグラン徹底解剖にまつわる興味深い視点を分かりやすく発信ます。

『不如帰(ほととぎす)』や『自然と人生』などの名作で一世を風靡した徳冨蘆花が、妻の愛子とともに武蔵国千歳村粕谷(現在の世田谷区粕谷)に移り住んだのは1907年(明治40年)のことでした。当時、東京の一等地であった青山高樹町に居を構えていた蘆花は、名声と都会生活の喧騒に強い精神的疲弊を感じていました。前年の1906年にはロシアの文豪レフ・トルストイの居館ヤースナヤ・ポリャーナを訪れ、その農民的キリスト教思想に深い感銘を受けます。帰国後、「土に生きて土に還る」生活を自ら実践すべく、未開の竹林と雑木林が広がっていたこの地を購入しました。

蘆花はこの地を「恒春園(こうしゅんえん)」と命名しました。これは中国・台湾の「恒春」という地名に由来し、「常に春の陽気のように穏やかで豊かな心の境地」を願ったものと伝えられています。蘆花はここで自ら鍬を握り、畑を耕し、随筆集『みみずのたはごと』において、泥にまみれながら自然の摂理と向き合う歓喜を鮮烈に描写しました。

1927年(昭和2年)に蘆花がこの世を去った後、妻の愛子は「この土地と建物を愛し、守り育ててくれた社会に恩返しがしたい」という蘆花の遺志を継ぎ、1936年(昭和11年)に土地および建物のすべてを当時の東京市へ寄付しました。これが現在の「都立蘆花恒春園」の原点です。

園内中核に位置する「徳冨蘆花 旧宅」エリアには、茅葺き屋根の母屋をはじめ、執筆拠点となった「秋草書院」、客間として用いられた「梅花書院」、さらには蘆花夫妻が静かに眠る墓所が当時の配置のまま保存されています。隣接する「徳冨蘆花 記念館」では、蘆花愛用の執筆用具、トルストイとの書簡写し、愛子夫人の手工芸品などが系統立てて常設展示されており、近代文学史における一級資料を間近で観察することができます。

清水 千尋
Author

清水 千尋

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。