高畑勲監督による1988年のアニメ映画版では、叔母は清太の持ってきた米を平然と横取りし、兄妹に嫌味を浴びせて追い出す「理不尽な敵役」として描かれました。しかし、脚本家・井上由美子が手掛けた2005年ドラマ版は、この構図を根本から覆しました。
劇中における澤野久子は、出征した夫の留守を守り、4人の子どもを抱えるごく普通の優しい母親でした。しかし、神戸大空襲によって親戚の清太と節子を引き取ることになり、配給制度の崩壊と飢えが一家を直撃します。手元の食糧が尽きかけていく極限状態のなか、久子は重い選択を迫られます。
「他人の子ども(清太・節子)に分け与えれば、自分の実子が飢え死にする」という絶対的矛盾です。
ドラマ版の久子は、自らの子どもたちに雑炊の底から米粒をすくい与え、清太たちには具のない汁だけを配膳します。この行為は決してサディズムではなく、母親としての生存本能の暴走でした。当時の特番インタビューにおいて松嶋菜々子は「久子の行動は決して許されるものではないが、自分が同じ立場に置かれたとき、絶対に同じ選択をしないと言い切れるだろうか」という趣旨の苦悩を語っています。
清太の側にも「家事を手伝わず、労働もせず、ただ妹と遊んで過ごす」という非協力的態度があり、共同体への貢献を重んじる戦時モラルとの決定的な断絶が描かれます。アニメ版が「傷つきやすい子どもの主観的世界」を描いたのに対し、実写ドラマ版は「大人の冷酷なサバイバル論理」を容赦なく暴き出す社会派ドラマへと昇華させたのです。