渡仏直後、松井は「ル・マンの太陽」と現地メディアから称賛されるほどの大活躍を見せ、チームを1部昇格へと牽引しました。ピッチ上での栄光とは裏腹に、家庭内では徐々に修復困難なひずみが生じていきます。およそ5年の歳月を経て、2009年に協議離婚という形でピリオドが打たれました。
電撃離婚の背景には、複数の構造的な要因が複雑に絡み合っていました。最大の引き金となったのは、海外生活における極度のストレスと生活環境の激変です。通訳を介してクラブに馴染んでいく夫に対し、妻側は現地の言葉もおぼつかないまま、不慣れな食材での栄養管理や治安への不安、文化の違いを一手に引き受けざるを得ませんでした。閉鎖的な地方都市ル・マンにおいて、夫が練習や遠征で家を空ける時間が長くなるにつれ、妻側の「精神的な孤立」が深刻化したと伝えられています。
さらに、松井がサンテティエンヌなど上位クラブへステップアップ移籍を重ねるにつれ、求められる結果のシビアさは跳ね上がりました。当時のインタビューや関係者の証言を振り返ると、ストイックにサッカーと向き合うあまり、家庭内でも張り詰めた空気が漂い、互いを思いやる精神的な余裕を失っていった様子がうかがえます。前妻との間に子供がいなかったことも、夫婦をつなぎ止めるかすがいを欠き、お互いの人生をリセットして別々の道を歩む決断を後押しした要因の一つでした。
なお、一部で囁かれた金銭トラブルや泥沼劇の噂について、高額な慰謝料をめぐる裁判沙汰などの事実は一切確認されていません。双方が弁護士を通じて冷静に財産分与を行い、円満な合意のもとで婚姻関係を解消した「静かな幕引き」であったことが分かっています。