上京後、彼が入団を果たしたのは、滝沢修や宇野重吉らが創設した日本新劇界の名門劇団民藝でした。1980年代から約8年間、研究生および劇団員として在籍し、徹底したスタニスラフスキー・システムに基づく発声練習、肉体訓練、心理描写の基礎を叩き込まれました。
しかし、劇団という巨大なピラミッド組織の中で主役を張り続けることは容易ではありませんでした。舞台俳優としての将来に葛藤を抱えていた20代後半、独学で出会ったのが「腹話術」でした。
「役者を辞めて腹話術に転身するのではなく、演劇の演技論と心理描写をすべて人形に投影する」という逆転の発想が、従来の腹話術にあった「おしゃべりな人形との漫才」という定型を破壊しました。民藝時代に培った圧倒的な腹式呼吸と調音器官のコントロール技術が、唇を動かさずにパ行・バ行・マ行を発音する特許級のスキル「いっこく堂スタイル」を開花させたのです。