2026年1月、昭和のエンターテインメントを牽引した石原プロモーションがその歴史に幕を閉じた。渡さんが亡くなった翌年のことである。この巨大な組織の終活において、実務や手続きの裏方として奔走したのが彼だった。
看板を下ろすという決断は、渡さんが生前から準備していたことではあったが、残された家族にかかる負担は想像を絶するものだった。事務所の整理、関係各所への挨拶、そして膨大な資料の管理。彼は会社員としての本業を抱えながらも、遺族の代表として誠実に対応し、トラブルなく解散を完了させたという。その仕事ぶりの見事さは、かつての所属俳優たちからも高く評価されていた。