梶山静六(1926年3月27日〜2000年6月6日)の政治人生を語る上で欠かせないのが、その叩き上げの経歴です。茨城県常陸太田市に生まれ、陸軍士官学校(第59期・航空分科)を卒業直前に終戦を迎えた経験は、国家観や国防意識の強烈な土台となりました。戦後はスクラップ業などを営みながら茨城県議会議員を3期務め、1969年の衆院選で初当選を果たします。
国政進出後は田中派に身を置き、後の竹下派(経世会)結成に中核として参画。当時、派閥を支えた「竹下派七奉行」(小沢一郎、橋本龍太郎、羽田孜、渡部恒三、奥田敬和、佐藤守良、梶山静六)の中でも、実務を取り仕切る武闘派の領袖として確固たる地位を築きました。通産大臣、法務大臣、自治大臣、自民党幹事長といった要職を歴任する中で、泥臭い根回しと大局を見据えた剛腕ぶりを遺憾なく発揮していきます。
永田町における梶山の存在感は、単なる派閥の実力者にとどまりませんでした。常に最前線で矢面に立ち、泥をかぶることを厭わない覚悟が、敵味方を問わず畏敬の念を集める要因となったのです。