仲代達矢の生涯を語る上で欠かすことができないのが、1957年に結婚した妻・宮崎恭子(女優、脚本家・演出家としての筆名は隆巴)の存在です。俳優座養成所の同期として出会った二人は、表現者としての同志であり、終生のソウルメイトでした。
1975年、二人は自宅の稽古場を拠点として、私塾「無名塾」を創設します。当時、映画や舞台でトップスターの地位を確立していた仲代が、多忙なスケジュールを割いて若手の育成に乗り出した背景には、商業主義に流されがちな芸能界への危機感と、「本物の演劇人を次世代に残したい」という切実な祈りがありました。特筆すべきは、塾生から入塾金や月謝などの授業料を一切徴収せず、仲代自らの出演料などの私財を投じて運営を続けた点です。
毎年のオーディションは数百倍ともいわれる熾烈な倍率を誇り、「演劇界の東大」と称されました。発声や身体訓練、徹底した人間教育を通じて、無名塾からは役所広司、若村麻由美、益岡徹、滝藤賢一といった日本を代表する実力派俳優が次々と巣立ちました。夫が俳優として第一線で輝き続ける一方で、妻の宮崎恭子は塾の運営を一手に引き受け、演出や脚本を通じて塾生たちを厳しくも温かく育て上げました。
1996年、宮崎恭子が膵臓がんで先立たれた際、仲代はその深い喪失感から一時は憔悴しきり、引退すら頭をよぎったと吐露しています。しかし、妻が遺した「無名塾を続けてほしい」という言葉を胸に、養女であり歌手・俳優の仲代奈緒をはじめとする家族や弟子たちに支えられながら再び立ち上がりました。私生活における深い愛情と喪失の痛みは、晩年の仲代の芝居にさらなる滋味と人間味を与えることとなりました。