山口智充が東京のキー局から姿を消したように映る背景には、業界内のトラブルやスキャンダルによる降板劇は一切存在しません。最大の転換点は、2000年代後半から日本のテレビバラエティを席巻した「ひな壇バラエティ文化」への違和感と、彼自身のタレント哲学にありました。
当時の制作現場を知る民放プロデューサーは次のように証言します。「多くの番組がスタジオに大勢の芸人を並べ、MCのパスに対して一瞬の瞬発力や大声でガヤを入れる『ひな壇形式』へシフトしました。制作コストを抑えつつ手軽に笑いを生み出せるシステムですが、山口さんは『大勢で並んで人をイジったり、誰かを落として笑いを取ったりするのは自分の芸ではない』と周囲に漏らし、ひな壇への出演オファーをきっぱり断るようになったのです」。
小学生時代から100曲以上のモノマネや生活音、映画の情景模写を独学で磨き上げ、相手と1対1で向き合う人情ロケや歌コントを真骨頂としてきた山口にとって、ひな壇での発言権争いは自身の美学と相容れないものでした。制作側が求めるトレンドに迎合せず、「自分の持ち味を出せない番組には出ない」という職人的な頑固さを貫いた結果、キー局のゴールデン番組への露出が自然と絞られていきました。
また、2008年から12年間にわたって総合司会を務めた『にじいろジーン』が2026年3月に終了したことも、「ぐっさんを見なくなった」という印象を決定づけました。番組終了は関西テレビの改編戦略と番組枠のリニューアルによるものであり、視聴率低下やトラブルを理由とした打ち切りではありませんでしたが、土曜午前の定番ルーティンとして定着していただけに、全国の視聴者に「山口智充の不在」を強く印象づける契機となりました。
相方の平畠啓史とお笑いコンビDonDokoDon(ドンドコドン)を結成してブレイクした山口ですが、コンビとしての活動休止についても同様です。不仲や確執による解散ではなく、ピンとしての仕事の幅が急拡大した結果、互いの強みを尊重してそれぞれ独立したタレント活動へ自然移行したというのが芸能界内の定説です。