1948年、福岡県北九州市に生まれた舛添氏は、幼少期から神童として地元で知られていた。東京大学法学部に進学し、政治学を専攻。卒業後は同大学の助手としてアカデミアの道を歩み始める。彼の知的好奇心は日本国内に留まらず、フランス・パリやスイス・ジュネーヴへと彼を突き動かした。ヨーロッパでの研究生活は、彼の国際感覚を研ぎ澄ますと同時に、後の彼のトレードマークとなる「合理主義」の基盤を築くことになる。
当時のフランスは、五月革命の余韻が残る激動の時代。最先端の国際関係論に触れ、現地の知識人たちと議論を戦わせた経験は、彼に強烈な自信を与えた。帰国後、東大助教授に就任した彼は、まさに若きエリートの最高峰を突き進んでいた。