大島渚の原点は、大手邦画会社である松竹に在籍していた1950年代末に遡る。フランスの映画運動に呼応するように、従来のカツベン的・家族主義的な日本映画の文脈を破砕し、若者の挫折と政治的苦悩を描いた『愛と希望の街』や『青春残酷物語』を発表。ここに「松竹ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる鮮烈なムーブメントが誕生した。
本家フランスのヌーヴェルヴァーグがシネマの形式主義的な解体を目指したのに対し、彼は社会の暗部や政治的矛盾にカメラを向ける肉体的なリアリズムを追求した。後にスタジオの体制と衝突し松竹を退社、独立プロダクション「創造社」を設立。自力で資金を集め、自らの思想を直接スクリーンの上にぶつける制作姿勢は、膠着していた日本の映画業界全体に激震を与えた。既存のシステムに依存せず、尖った個人のビジョンを貫く映画制作のスタイルは、その後のインディペンデント映画の道筋を大きく切り拓くこととなった。