会津藩の教育水準を全国に知らしめた日新館は、享和3年(1803年)、会津藩第5代藩主・松平容頌(かたのぶ)の命を受け、名家老として知られる田中玄宰(はるない)の建議によって創設されました。当時の会津藩は天明の大飢饉などによる財政難と武士階級の風紀の乱れに直面しており、「教育の振興こそが藩の再興を果たす」という強烈な危機意識から誕生した総合学府です。
会津藩の上級武士の子弟は10歳になると日新館への入学が義務付けられていました。儒教(朱子学)を基盤とした古典の読解や道徳教育にとどまらず、武道、医学、天文学、数学、礼法まで多岐にわたるカリキュラムが組まれ、全寮制に近い規律ある集団生活の中で知勇兼備の武士が養成されたのです。
幕末の動乱期、戊辰戦争で名を残した白虎隊士たちも日新館の生徒でした。彼らが見せた強靭な責任感や忠義心は、日新館で幼少期から叩き込まれた精神的基盤によるものです。惜しくも慶応4年(1868年)の会津戦争で校舎は焼失しましたが、昭和62年(1987年)、綿密な古文書調査と発掘データを基に、会津若松市郊外の広大な敷地(約2万坪)へ忠実に完全復元され、今日にその精神を伝えています。