「世が世なら」という言葉が定着した決定的な契機は、1868年の明治維新にあります。江戸時代まで盤石であった士農工商の身分制度が「四民平等」によって解体され、1876年の廃刀令や秩禄処分によって特権階級であった士族は経済的・社会的な基盤を喪失しました。
昨日まで町人や農民から頭を下げられていた武士が、一転して商売を始めざるを得なくなり、「士族の商法」と揶揄されて困窮していく様子は、近代日本文学の傑作群にも克明に描かれています。没落した旧武士や名家の末裔たちが、路地裏で細々と暮らしながら「世が世なら、城で重臣を務めていたものを」とつぶやいた悲哀とプライドこそが、この言葉の原風景です。
歴史社会学の研究資料においても、階級移動の激動期には自己のアイデンティティを保つための心理的防衛機制として「過去の身分への執着」が頻繁に観察されると指摘されています。つまり、「世が世なら」という言葉は、急激な近代化の中で置き去りにされた人々のアイデンティティを支える最後の精神的砦でもありました。