1934年(昭和9年)に刊行された中原中也の第一詩集『山羊の歌』。その巻頭近くに収められた名作が詩『北の海』です。この詩は、ロマン主義的な感傷を冒頭から容赦なく打ち砕く衝撃的なフレーズで幕を開けます。
「海にゐるのは、/あれは人魚ではないのです。/海にゐるのは、/あれは、波ばかり。」
この詩句の現代語訳と意味の解釈を試みると、詩人が読者に突きつけている冷徹な現実認識が浮かび上がります。北の鉛色の海に向かって人魚のような甘美な救済を求めても、そこにあるのは無機質に打ち寄せる波の連続にすぎないという告白です。愛する女性・長谷川泰子との破局や、生来の孤独感に苛まれていた中也は、現実逃避としてのロマンチシズムを自ら徹底的に否定してみせました。
詩の鑑賞において長年議論を呼んできたのが、後半に登場する「烏猫(からすねこ)」という奇妙なフレーズです。「岩陰に、烏猫がゐて、/波の音を聴いてゐる。」と描かれるこの生物は何を意味するのでしょうか。文学研究者たちの分析によると、「烏猫」は黒猫(カラスのように黒い猫)を指す中也独自の造語、あるいはボードレールらフランス象徴派詩人が多用した「死と孤独の不吉な影」の日本的変容であると指摘されています。冷たい風が吹きつける岩陰で、寒さに縮こまりながら波の音に耳を澄ませる黒い猫の姿は、他者と交われず孤立無援のまま世界を凝視する中也自身の痛切な分身に他なりません。
この張り詰めた詩情は、昭和の作曲家・三善晃による合唱曲(女声合唱のための『三つの抒情』)などを通じても広く歌い継がれ、声楽の世界でも色褪せない緊張感を放ち続けています。また、小説家の井上靖も1968年から1969年にかけて私小説3部作の完結編として『北の海』と題する自伝的长編を発表しており、金沢の第四高等学校柔道部に情熱を注ぐ青年の姿を描きました。文学者たちにとって「北の海」とは、自立と精神的成長を試される厳しい登竜門でもあったのです。