2026年現在、かつて昭和の文豪や映画に描かれた東京の代表的赤線跡地は、決定的な転換期を迎えています。木造建築の法定耐用年数を大幅に超え、大正から昭和30年代に建てられた建造物の老朽化、相続による土地売却、そして東京都心部の激しい再開発によって、遺構の解体が急ピッチで進行しています。
1. 墨田区・玉の井(現・東向島)
永井荷風の名作『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』の舞台となった玉の井は、迷路のような狭隘(きょうあい)な路地と「ぬけられます」の標識で知られていました。戦後の赤線時代にも特飲街として栄えましたが、近年の防災街区整備事業や密集市街地改善プロジェクトにより、私道のような細路地は次々と拡幅されています。かつて街角に残っていた豆タイルの鑑札付き民家や円柱を持つ建物は、2026年から2026年にかけてその大半が更地化され、無機質な現代風アパートやコインパーキングへと置き換わりました。
2. 墨田区・鳩の街(現・向島)
玉の井の焼け出され組が形成した鳩の街は、奇跡的に戦災を免れた木造家屋が多く残り、2010年代までは「日本で最もカフェー建築が密集して残るエリア」と称されていました。吉行淳之介の小説『原色の街』でも知られるこの通りですが、家主の高齢化に伴う解体が相次いでいます。一部のカフェー建築は若い世代のクリエイターによって古民家カフェやシェアギャラリーとしてリノベーションされ、豆タイルや独特の間取りを意図的に残す試みも見られますが、街全体としての遺構密度は年々低下しています。
3. 江東区・洲崎パラダイス(現・東陽一丁目)
映画『洲崎パラダイス 赤信号』で名高い洲崎は、かつて吉原と並び称された巨大遊郭の系譜を引く赤線地帯でした。「洲崎大門」のアーチをくぐると、整然と区画された水路沿いに数十軒の特飲店が立ち並んでいました。しかし現在の東陽一丁目は、東京メトロ東西線の利便性の高さから中高層マンションが林立する近代的なベッドタウンへと完全に変貌を遂げています。洲崎遊郭の開始と終焉を記した記念碑や、弁天神社の境内、ごくわずかに残る飲食店跡のタイルの痕跡を除けば、かつてここに東洋屈指の色街が存在したことすら気づかない日常の風景が広がっています。