英語圏でこれほど「ジャーマニー」が定着しているにもかかわらず、なぜ日本は「ドイツ」という呼び名を使い続けているのでしょうか。その決定的な理由は、江戸時代の鎖国政策下における外交ルートの特殊性にありました。
1603年から260年以上続いた江戸時代、徳川幕府は厳しい海禁政策(いわゆる鎖国)を敷き、西洋諸国の中で唯一、貿易と外交を許したのが「オランダ」でした。長崎の出島にはオランダ商館が置かれ、幕府との折衝や文書翻訳を一手に引き受けたのが、幕府公認の世襲通訳者集団である「オランダ通詞(つうじ)」です。
当時、オランダ語で隣国であるドイツのことは「Duits(ドイツ / ドゥイツ)」、国家としては「Duitsland(ドイツラント)」と呼ばれていました。オランダ商館長(カピタン)が幕府に提出した風説書や、蘭学者たちが輸入した医学書・天文学書を翻訳する際、オランダ通詞たちは「Duits」の発音をそのまま日本語の文字に写し取りました。これが漢字表記の「独逸(あるいは独乙)」となり、発音として「ドイツ」が定着したのです。
明治維新を迎えると、日本はイギリスやアメリカなど英語圏諸国との国交を一気に拡大しました。この段階で国名を英語風に「ジャーマニー」へと改称する選択肢もあり得ました。しかし、すでに杉田玄白らの『解体新書』以来、日本の蘭学・医学・軍事学の基礎にはドイツ系知識が深く浸透しており、明治政府も大日本帝国憲法の制定にあたってプロイセン(ドイツ)憲法を模範としたため、「独逸(ドイツ)」という伝統ある呼称を維持することが最も合理的だったのです。