吉野ヶ里と言えば、常に引き合いに出されるのが「邪馬台国は九州にあったのか、それとも近畿にあったのか」という永遠の論争だ。今回の新発見は、その火種に再び巨大な薪をくべることになった。
今回見つかった大型構造物の配置パターンは、大陸の都市計画や祭祀様式との強い類似性が指摘されている。これが邪馬台国そのものを示すのか、あるいは魏志倭人伝に登場する「奴国」や「伊都国」といった有力な国々の証拠なのかは、まだ断定できない。
だが、一つ確かなことがある。九州北部に、当時の東アジア情勢とダイレクトにリンクした強力な政治的権力が存在していたという事実だ。単なる農耕集落の集合体ではなく、冷徹な外交と軍事戦略を備えた「都市国家」の姿がそこには浮かび上がってくる。