永承7年(1052年)、釈迦の教えが廃れるとされる「末法」の初年、関白であった藤原頼通は父である藤原道長から譲り受けた宇治の別荘を寺院へと改修した。当時の京都は相次ぐ火災や疫病、政治的動乱に見舞われており、貴族も庶民も現世への絶望感を抱いていた。頼通にとって、この宇治の地は単なる静養の場ではなく、現世に仏の理想郷を立ち上げるための祈りの聖地だったのだ。
宇治川の清流と豊かな自然に囲まれたこの地は、都の喧騒から離れた一種の聖域であった。頼通は莫大な財力を投入し、極楽浄土の景色をそっくりそのまま地上に現出させようと試みた。父・道長が築いた藤原氏の全盛期を受け継ぎつつも、死後の救済を切望した頼通の執念が、この壮大な景観を生み出す原動力となったとされる。