講和会議の主導権を握っていたアメリカの特使ジョン・フォスター・ダレスは、西側陣営の団結を最優先した。しかし、東アジアにおける通商権益を重視するイギリスとの妥協点を見出すのは容易ではなかった。ソ連などの東側陣営は北京政府の招待を強く主張したが、受け入れられることはなかった。
結果として、サンフランシスコ対日講和条約の署名式には、かつて対日戦線の主力であった中国が一切関与しないという奇妙な講和が成立した。これは講和の包括性を著しく損なうものであり、最初から国際的な火種を内包した「不完全な平和」としてスタートせざるを得なかったのだ。