戦国時代の日本地図はどう激変した?勢力図の変遷と領地拡大の真相

戦国時代の日本地図はどう激変した?勢力図の変遷と領地拡大の真相

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16世紀半ば、日本各地には自前の軍事力と法度(分国法)で領国内を直接支配する「戦国大名」が林立しました。この時代の戦国大名配置図を見ると、地域ごとに強力なブロックが形成されていたことがわかります。

東国において最も熾烈な領地争いを演じたのが、甲斐の武田信玄(晴信)と越後の上杉謙信(長尾景虎)です。信濃の支配権を巡って両者は北信濃の川中島で計5回にわたり激突しました。武田氏は甲斐・信濃を押さえた後、今川氏の衰退に乗じて駿河・遠江の一部へと領地を拡大。一方の上杉氏は越後を本拠に北陸道(越中・能登)や関東へと出兵を繰り返しました。両雄の家紋――武田の「武田菱」と上杉の「竹に二羽飛び雀」「懸かり乱れ龍」の軍旗――は、当時の東国勢力図の象徴として恐れられました。

関東では、相模の小田原城を拠点とする北条氏康(後北条氏)が武蔵、上野、下総などを手中に収め、関東平野に一大帝国を築き上げました。さらに東海地方では駿河・遠江・三河を支配する「東海道一の弓取り」今川義元が君臨。西日本に目を向ければ、中国地方を一代で制覇した毛利元就、四国の長宗我部元親、九州で覇を競う豊後・大友宗麟、肥前・龍造寺隆信、薩摩・島津義久の「九州三好(三強)」など、各地で強大な戦国大名が領地を固めていました。

山口 彩花
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山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。