BOØWYが解散を発表したのは1987年12月24日、渋谷公会堂のステージでした。オリコンチャート1位を記録し、スタジアムクラスを満員にする人気絶頂の最中での解散劇は、日本中へ凄まじい衝撃を与えました。当時から今日に至るまで、解散理由として最も多く語られてきたのが「氷室京介と布袋寅泰の不仲説」です。
しかし、実際の解散劇は単なる感情的な喧嘩別れではありません。根底にあったのは、「音楽的主導権を巡る二人の才能の衝突」と「バンドの美学」でした。
結成当初は氷室が中心となって引っ張っていたバンドでしたが、次第に布袋がサウンドプロデューサー・アレンジャーとしての非凡な才能を開花させます。特に布袋が山下久美子のアルバムプロデュースなどを手掛け、バンド外の音楽活動に視野を広げたことで、BOØWYという枠組みの中だけでは自身の音楽的欲求を収めきれなくなっていきました。
一方の氷室もまた、稀代のフロントマンとして自らのボーカリゼーションと世界観を極限まで追求する姿勢を崩しませんでした。二人の才能があまりにも巨大化しすぎた結果、同じ船に乗り続けることが物理的に不可能になったのです。さらに「最もかっこいい最高の状態で解散する」というメンバー共通の美学が、この決断を後押ししました。