なぜこのような場所に民間の木造建築が存在しているのか。その理由は、1960年代後半から始まった三里塚闘争(成田闘争)の歴史に深く根ざしています。当時の政府が地元農民への十分な事前説明や合意形成を欠いたまま空港建設を閣議決定したことで、激しい反対運動が巻き起こりました。
反対派農民や支援者たちは、空港予定地内に「団結小屋」と呼ばれる拠点を多数建設し、国家権力による土地収用に対抗しました。その拠点の一つが成田闘争の木の根団結小屋でした。その後、1980年代に入って反対派組織(熱田派など)の活動拠点や全国から集まる支援者の連帯・交流の場として、1983年から1985年にかけて丸太小屋風の宿泊棟として再整備されたのが、現在の木の根ペンションです。
「ペンション」というハイカラな名称が採用された背景には、従来の物々しい軍事要塞のような団結小屋のイメージを刷新し、若者や市民運動の参加者が気軽に集える開かれた空間を目指す意図がありました。敷地内にはかつて、全国の支援者が土地を買い取って小口所有する「一坪共有地」が設定され、これが空港会社側による一括買収を阻む法的な盾となってきました。