なぜ過熱報道は留まるところを知らなかったのか。背景には1980年代初頭のメディア構造の変容がある。新興の写真週刊誌が部数競争を繰り広げ、過激なプライベート暴露が商用コンテンツとして消費されるシステムが完成していたからだ。
人権配慮やプライバシー保護のガイドラインが未整備だった時代。まだ10代だった少女の自宅周辺には連日リポーターやカメラマンが殺到した。語られなかった裏側として、メディアの部数至上主義と世間の覗き見悪趣味が合致した結果、一人の少女が社会的私刑に晒された側面を見過ごすことはできない。