ネット上の掲示板やSNSの一部では、「初期の浜崎あゆみはエイベックスらしい典型的な打ち込みポップスに過ぎない」といった浅薄な評価が散見されます。特に本作は、BPM130を超えるアッパーなテンポとシンセサイザーの派手なリフが目立つため、単なるパーティーソングやゲームの主題歌として消費されたと誤認されるケースが少なくありません。
しかし、これは音楽的構造と歌詞の対比を完全に見落とした誤解です。この楽曲の神髄は、「極めて明るく疾走するサウンド」と「底知れぬ寂寥感を宿した内省的な詞」の残酷なまでのコントラストにあります。もし歌詞だけを声に出して静かに読んでみれば、そこに並んでいるのは希望に満ちた言葉ではなく、不確かで移ろいやすい現実に対する痛々しいまでの自問自答であることに気づくはずです。
哀愁を含んだ菊池一仁氏のコード進行の上で、未完成ながらも魂を削るように歌う20歳の彼女の声が重なることで、単なるダンスミュージックを超えた「時代特有の焦燥感」が結晶化しました。表層の華やかさだけに目を奪われ、その内側に潜む文学的な毒や痛みに気づかないことこそが、この名曲に対する最大の盲点といえます。