大政奉還からわずか1か月後の慶応3年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎は京都・近江屋で非業の死を遂げました。この悲劇を巡り、歴史愛好家や一部の創作物の間で囁かれ続けてきたのが「後藤象二郎黒幕説」です。
黒幕説が唱えられる主な理由は以下の通りです。
- 大政奉還の功績を象二郎が独占しようとしたのではないかという推測
- 武力倒幕を避けたい象二郎と、武力行使も辞さない龍馬との路線対立疑惑
- かつて勤王党を弾圧した象二郎に対する拭いきれない不信感
しかし、近年の歴史研究および当時の一次史料の分析により、この黒幕説は完全に否定されています。龍馬を暗殺したのは京都見廻組(今井信郎や佐々木只三郎ら)であるというのが学術的な定説です。
事件の一報を受けた象二郎は激しく慟哭し、即座に土佐藩兵を動員して犯人捜索を命じています。象二郎にとって龍馬は、新政府樹立に向けた経済・外交・人材登用のブレーンとして不可欠な存在でした。自らの最大の政治的パートナーを殺害する動機は、当時の象二郎には微塵も存在しなかったのです。