ネット上で「小川知子 再婚の真相」や「小川知子 死別の真相」という検索ワードが後を絶たない背景には、昭和芸能史の最大の悲劇とも称される、レーサー・福澤幸雄(ふくざわ さちお)氏との壮絶な別れが存在します。
小川知子 若い頃の1960年代後半、彼女は国民的スターとして多忙を極めていました。その渦中で運命的な大恋愛に落ちた相手が、福澤諭吉の曾孫であり、モデル・大物レーサーとして圧倒的なカリスマ性を誇っていた福澤幸雄氏でした。当時2人は「世紀の美男美女カップル」として世間の羨望を一身に集め、真剣に将来を誓い合っていたと伝えられています。当時の週刊誌報道でも、2人の結婚は秒読み段階と目されていました。
暗転したのは1969年2月12日でした。静岡県袋井市のテストコースで行われていたトヨタのプロトタイプスポーツカー『トヨタ7』の走行テスト中、福澤氏の駆るマシンが時速200km以上の高速でコースアウトし、標識に激突して炎上。わずか25歳の若さで命を落とすという痛ましい事故が発生したのです。
事故の数日後、小川知子は生放送の歌番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)に出演。大ヒット曲「ゆうべの秘密」を歌唱する予定でしたが、司会の前田武彦氏から福澤氏の遺品であるペンダントを手渡されると感情の堤防が決壊し、日本中の視聴者が見守るカメラの前で号泣して歌えなくなるという伝説的な場面が生まれました。当時の番組関係者の証言や小川知子の自著によると、「あの瞬間、自分の青春と魂の半分が削ぎ落とされたような感覚だった」と、その凄まじい絶望が生々しく綴られています。
このあまりにも鮮烈な記憶が日本人の脳裏に深く刻み込まれた結果、後世のネットユーザーの間で「小川知子は福澤幸雄と結婚していたのではないか」「夫と死別した過去がある」という記憶の混同が生じました。決定的な事実として、福澤幸雄氏とは未婚の恋人同士であり、小川知子が生涯で婚姻届を提出した小川知子 結婚相手は、後年出会った伊東順二氏ただ一人です。