ネット上のコミュニティやSNS(X、旧Twitter)では、時透無一郎に首を刎ねられた描写から「玉壺は上弦最弱ではないか」「噛ませ犬だった」という声が散見されます。しかし、一次資料となる戦闘描写を克明に追っていくと、この評価は大きな誤解に基づいていることが分かります。
客観的な事実として、玉壺は戦闘開始直後、時透無一郎に一切の決定打を打たせることなく、水獄鉢の中に完全に閉じ込めています。あの状況で、小鉄による決死の息の吹き込みという「第三者の介入」がなければ、始まりの呼吸の子孫である天才・無一郎であってもその場で完全に絶命していました。
また、刀鍛冶の里という鬼殺隊の兵站中枢を独力で突き止め、壊滅寸前にまで追い込んだ情報収集能力と浸透戦術の功績は極めて甚大です。半天狗が無差別な破壊をもたらす役割だったとすれば、玉壺は日輪刀の供給源を断つという戦略的急所を突く工作員としての役割を完璧に遂行していました。
「弱く見えた」最大の要因は、時透無一郎の放った「その壺、形が歪んでない?」という煽り文句に過剰反応し、冷徹な戦闘マシーンから感情的な芸術家に堕してしまったメンタルの甘さにあります。技の殺傷力そのものは、現代のバトル漫画全体を見渡しても類を見ないほどの即死性・反則性を備えていました。