現代の日本人が「花」と聞いて真っ先に思い浮かべるのは桜ですが、奈良時代の貴族社会においては全く異なる美意識が支配していました。その決定的な証拠が、日本最古の歌集である『万葉集』の記録です。
万葉集において桜を詠んだ歌が43首にとどまるのに対し、梅を詠んだ歌は実に118首に達します。当時の知識人層にとって、花といえば梅を意味していました。大陸から渡来した高貴な文化の象徴であり、厳冬の寒さに屈せず芳香を放つ孤高の姿が、貴族たちの精神性と深く共鳴したからです。
さらに、平安時代の菅原道真公にまつわる「飛梅伝説」は、日本人の梅に対する畏敬の念を決定づけました。大宰府へ左遷される際、庭の梅に語りかけたとされる和歌はあまりにも有名です。
「東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」
主人がいなくなっても春を忘れずに咲いてほしいと願った道真公の心情は、寒気の中で約束を守るように咲く春告草への絶対的な信頼を物語っています。また、文人画の伝統においては、冬の寒さに耐えて咲く清雅な四つの植物として「雪中四友(せっちゅうしゆう)」(梅、水仙、山茶花、蝋梅)が尊ばれてきました。過酷な環境下で自己を保ち続ける植物の姿に、人間としての気品を見出していたのです。