久米宏という表現者の神髄は、カメラが回っていない場所でこそ牙を剥いたのかもしれない。時折見せる過激なパフォーマンスや毒舌は、単なるウケ狙いのパフォーマンスでは決してない。綿密な事前取材と膨大な資料の読み込みに裏打ちされた、極めて「知的な悪ふざけ」だった。画面越しでは決して見えない表情や沈黙の間合い。それら全てを音だけに収斂させる作業に、彼は自らの存在意義を見出していたのだろう。
権力に対する容赦ないツッコミや、スポンサーすらヒヤヒヤさせる生放送の綱渡り。彼が沈黙を破って放つ一言には、常にメディア全体の硬直化に対する揺さぶりがあった。言葉選びの卓越さとスピード感は、まさに職人技の域に達していたと言っていい。