兄妹の辿った悲惨な結末を振り返る上で、清太と節子の死因を直視することは避けられません。節子は重度の急性栄養失調と下痢、衰弱によって4歳という短すぎる生涯を閉じました。清太もまた、極度の栄養失調と衰弱により、終戦直後の1945年9月に三ノ宮駅の構内で誰にも看取られることなく息を引き取っています。
二人の死を決定づけたのは、戦争そのものの暴力だけでなく、清太のプライドと社会からの孤立でした。海軍大尉の息子であるという誇り、おばさんから小言を言われる屈辱に耐えかねて防空壕へと飛び出した決断が、結果として妹の命を縮める引き金となりました。
もし清太が頭を下げておばさんの小言を受け流し、防空訓練や農作業を手伝いながら西宮の家に留まっていれば、少なくとも餓死という最悪の結末は回避できた可能性が極めて高いといえます。おばさんの冷たい態度を「理不尽な虐待」と捉えて逃避した清太の幼さと意地が、自給自足の不可能な洞窟生活という袋小路へ二人を追い込んでしまったのです。