終戦後、米軍や日本政府は何度も投降を呼びかけるビラを撒き、拡声器による放送を行いました。しかし、情報戦のプロとして訓練されていた小野田氏は、これらをすべて「敵の欺瞞工作(謀略)」であると判断しました。当時の世界情勢において、米ソ冷戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争が勃発していたことも、彼に「世界大戦はまだ続いている」と確信させる材料となってしまったのです。
潜伏生活は想像を絶する過酷さでした。当初4名いた部隊は、1950年に赤津勇一等兵が投降、1954年には島田庄一伍長が銃撃戦で命を落とします。その後、小野田氏は小塚金七(こづか・きんしち)一等兵と2人だけで山中に身を潜め、ヤシの実やバナナ、野生動物を捕食しながらゲリラ活動を継続しました。
1972年10月、地元警察との銃撃戦により、最後の戦友であった小塚氏が戦死します。たった一人残された小野田氏は深い絶望に襲われながらも、「任務を放棄するわけにはいかない」と警戒を一層強め、孤独な戦いを続けました。この小塚氏の戦死の一報により、「小野田少尉はルバング島でまだ生きている」と日本国内で確信され、救出への動きが一気に加速することになります。