世界的な大絶賛を浴び、カンヌ国際映画祭で監督賞まで勝ち取った本作ですが、映画史における最大のミステリーとも言えるのが「地元台湾において、完成から17年後の2017年まで正式な一般劇場公開が一切行われなかった」という事実です。
当時の映画業界資料やエドワード・ヤン監督本人の証言によると、この異例の事態を招いた最大の原因は、監督自身が抱いていた「台湾国内の配給・興行システムに対する激しい不信感」でした。1990年代後半の台湾映画界は、ハリウッドの大作映画に映画館のスクリーンをほぼ独占されており、国内の芸術映画が粗雑に扱われ、短期間で打ち切られる構造が常態化していました。
自らの美学に一切の妥協を許さない完璧主義者として知られたヤン監督は、「大切な作品をビジネスの都合だけで切り捨てられるくらいなら、自分の手で正当に届ける道を探す」と決断。大手配給会社への配給権譲渡を拒否し、自主配給の道を模索しました。しかし、資金繰りや監督自身の病(大腸がんとの闘病、2007年に59歳で逝去)が重なり、生前に台湾の一般の映画館で上映される機会は永遠に失われてしまったのです。
台湾の人々がようやく母国の映画館で本作を鑑賞できたのは、ヤン監督の没後10年にあたる2017年のことでした。この知られざる配給の歴史を知ると、映画の中で描かれる台北の街並みや家族の風景が、いかに監督にとってかけがえのない魂の記録であったかがより深く胸に迫ります。