二人の関係の原点は、細田守監督が金沢美術工芸大学を卒業する直前、スタジオジブリの研修生採用試験を受けた瞬間にまで遡ります。当時、東映動画(現・東映アニメーション)への就職を控えていた細田監督は、ジブリの試験に数百枚ものデッサンを提出しました。結果は不合格でしたが、その直後に信じられない出来事が起こります。
細田青年のもとに届いたのは、宮崎駿監督直筆の丁重な手紙でした。そこには「君のような人間をジブリに入れると、かえって才能をすり減らしてしまう。外の世界で自由に羽ばたくべきだ」という趣旨のメッセージが記されていたといいます。宮崎監督が不合格通知を出した相手に自ら手紙を書いた例は極めて異例であり、この時点で細田守という突出した才能を誰よりも早く見抜いていたことが伺えます。
東映アニメーションに入社した細田監督は、『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(2000年)などで圧倒的な演出力を発揮し、業界内外で一躍脚光を浴びることになります。そしてその類まれな手腕に再び目を留めたのが、他ならぬスタジオジブリのプロデューサー陣でした。