橘の高貴さは、近代日本の最高峰の栄誉である「文化勲章」のデザインにも色濃く反映されています。1937年(昭和12年)に文化勲章が制定された際、その意匠をどうするかについて激しい議論が交わされました。
当初は日本を代表する花として「桜」を推す声が多数を占めていましたが、昭和天皇が「桜は潔く散る武人の美学(軍人向き)であるのに対し、文化の発展は散ることなく永遠に積み重なるべきもの。よって、常緑にして馥郁たる香りを保ち続ける橘こそが文化勲章にふさわしい」と示唆されたことで、橘の五弁花と三つの果実を配した優美なデザインに決定したという経緯があります。
また、家紋の世界においても橘は特別な地位を占めています。平安時代初期、敏達天皇の後裔である県犬養三千代(あがたいぬかいのみちよ)が元明天皇より「橘宿禰(たちばなのすくね)」の姓を賜ったことに端を発し、名門・橘氏のシンボルとなったのが「橘紋」です。
橘紋は「植物の生命力の強さ」「葉が落ちない縁起の良さ」から、武家・公家を問わず広く愛好され、徳川四天王の一人である井伊直政の井伊家など名だたる家系で使用されました。現在でも日本の「十大紋」の一つに数えられており、家運隆盛と子孫繁栄の象徴として不動の格を誇っています。